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これまでのメタル講座ですが、今までに誕生から現在までのメタルのお話を、BABYMETALに関係するような部分をかいつまんで紹介させていただきました。
が、日本のメタルについてはまだ書いていませんでした。
ということで今回はジャパメタ編でいってみようと思います。
“ジャパメタ”っていう言葉はあんまり好きじゃないんですが(笑)
ジャパニーズメタルの誕生
1960年代初期はビートルズ(The Beatles)やローリング・ストーンズ(The Rolling Stone)がアメリカでブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)と呼ばれるロックムーブメントを起こし、ビートルズは日本でも一般的に知られる来日公演を果たします。
それ以降、日本ではグループサウンズ(GS)が大流行。
海外では、1960年代後半~70年代初期にかけてレッド・ツェッペリンやブラック・サバスによってHR/HMが誕生しますが、その直後、日本でもメタルバンドが登場します。
ジャパニーズメタルの元祖
その、GS末期に内田裕也プロデュースの元、1970年に「フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin’ Band)」がデビュー。
・Flower Travellin’ Band – Kamikaze(1972)
ブラック・サバスを思わせるようなサウンドは日本のメタルの元祖として語られています。
ボーカルの故・ジョー山中の歌唱力、演奏力の高さは海外でも高い評価を得、カナダへ渡り、アメリカとカナダでデビューを果たします。
この時期、他には四人囃子、紫、村八分等のHR/HM系バンドが登場。
が、大きくブレイクするようなことはなく、その後サウンドを変化させていったり、解散に至ったり商業的な成功はなく終わっていきます。
ジャパメタブーム
1977年、後のLOUDONESのギター・高崎晃、ドラム・樋口宗孝、そしてアニソン界で有名な影山ヒロノブが在籍していた”LAZY(レイジー)”が、かまやつひろし氏に認められメジャーデビュー。
本来はハードロック志向のバンドでしたが、かまやつ氏の意向によりアイドルとしてデビューし、メンバーは不満を抱えながら活動していました。
1976年にデビューした、ギタリスト山本恭司を擁する「バウワウ(BOW WOW)」は本格的なハードロックサウンドを鳴らすバンドで、エアロスミス(Aerosmith)やKiss(キッス)の日本公演でのオープニングを務めるものの、大きな商業的成功は得られず、後に歌謡ロック路線へ方向性を転換させます。
・BOW WOW – Hearts On Fire(1977)
これは初期の音源です。
LAZYは1980年に「ヘヴィーメタル宣言」の元、アルバム『宇宙船地球号』をリリース。
ジャケットもモロにメタルを感じさせるアートワークとなっています。
そして、その時期、BOW WOWも原点回帰を宣言。
が、LAZYはこれでメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りとなり、直後にLAZYは解散。
1981年、高崎晃と、樋口宗孝は「ラウドネス(LOUDNESS)」を結成。
アルバム『THE BIRTHDAY EVE ~誕生前夜~』でデビュー。
その本格的なHR/HMサウンドは日本で初のへヴィメタルサウンドと言われ、大きな人気を集めることになります。
そして、管理人もメタルに目覚める大きなきっかけとなるバンドでした。
海外のメタル界を見ればNWOBHMが隆盛していましたが、日本ではハードロックは売れないとされており、ラウドネスの人気は業界を驚かせました。
1983年、3rdアルバム『THE LAW OF DEVIL’S LAND ~魔界典章~』をリリースした後、渡米しアメリカ/ヨーロッパツアーを行います。
1984年、個人的に推しているラウドネスの名作『DISILLUSION ~撃剣霊化~』をリリースし、2度目のヨーロッパツアー。
・Loudnes – Crazy Doctor(1984)
管理人はこの曲が一番と言えるくらいに好きです。
何しろギターソロが最高です。
高崎晃氏のギターの演奏力の高さもわかっていただけるかと思います。
テスト2これはそのときのヨーロッパツアーの様子ですが、先日のBABYMETALのロンドン公演を思わせる映像ですね。
海外進出に向けて『DISILLUSION』は”English Version”もリリースされます。
日本語バージョンになると若干ダサい感じになりますが、個人的にはそっちの方が好きです。
1985年、5thアルバム『THUNDER IN THE EAST』から本格的に海外でも活動を始め、このアルバムはアメリカのビルボードアルバムチャート74位(次のアルバムは64位)、日本ではオリコンチャート4位を記録します。
サウンド的には当時アメリカで流行していたLAメタル寄りになり、モトリークルー(Motley Cure)のサポートも務めます。
そして、単独ではありませんが、そのサポートのアメリカツアーでアジア人アーティストとして初めて、マディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ちます。
1986年には初の武道館公演も達成。
ラウドネスは日本のメタル界に大きな功績を残すことになり、1980年代中盤には、日本のメタル界も盛り上がりを見せ始めます。
いわゆる”ジャパメタブーム“が起こり、ANTHEM(アンセム)、EARTHSHAKER(アースシェイカー)、44MAGNUM(フォーティーフォー・マグナム)、X-RAY(エックスレイ)、MAKE-UP(メイクアップ)等のバンドがメタルシーンを盛り上げていきます。
・Anthem – Wild Anthem(1985)
ハードコア・パンクの流れを汲んだ「フラットバッカー(FLATBACKER)」も1985年にアルバム『戦争 -アクシデント-』でデビュー。
・Flatbacker – Hard Blow(1985)
フラットバッカーは活動の場を世界へと広めるべく渡米し、その後、現在BAYBMETALが在籍しているAMUSEに移籍、バンド名を「E・Z・O」と改名。
1987年にKISSのジーン・シモンズプロデュースの元、アルバム『E・Z・O』リリース。
歌舞伎を彷彿とさせる『忍者メタル』というキャッチフレーズの元売り出されるが、あまり売れず、その後メイクを落とし海外ハードロックバンド的なサウンドへ転向。
・EZO – LOVE JUNKIE(1989)
ラウドネスは海外で一定の成功を収めるものの、アンセム、EZO等、日本のメタルバンドはそれ程大きな成功は得られませんでした。
メタルのメジャーシーン台頭
それまではあくまで海外のHR/HMバンドのサウンドやスタイルを模倣するようなバンドが多かったんですが、ジャパメタブーム以降の1980年代後半頃からは日本的メタルバンドが登場し始めます。
お茶の間ではすっかり有名になったデーモン小暮閣下率いる「聖飢魔II」は1985年にデビュー。
戦略的な部分は大きいと思いますが、KISSのようなメイクに、ブラックメタルバンドのようなサタニック・ホラー性を感じさせる「聖飢魔II」は、デーモン閣下のキャラクターをはじめ、非常にエンターテイメント性が高く、ファミコンのゲームになったり、ある程度の商業的成功を収めます。
・聖飢魔II – Fire After Fire(1986)
NWOBHM直系なサウンドにしっかり歌謡曲的要素も取り入れており、後のXの成功にも見られるような楽曲の完成度の高さは評価に値します。
また、北斗の拳の「クリスタル・キング」、聖闘士星矢の「MEKE-UP(メイクアップ)」等、HR/HMバンドがアニメの主題歌を担当するようになったり、ハードなサウンドはそういう面でも一般で聴かれるようになる。
元LAZYの景山ヒロノブ氏もアニメ・特撮系の主題歌で活躍を見せます。
・MAKE UP – ペガサス幻想(1986)
が、メタルが一般的に認知されているかといったらそんなこともなく…、とういかこの時代は普通のロックバンドでさえテレビで見かけるような機会は少なかったように思います。
そして、BOOWYをはじめ「ロックバンドはテレビなんかには出ないぜ!」的な風潮もあった気がしますね。
そんな中、突如現れたのが「X(エックス)」でした。
1989年4月にアルバム『BLUE BLOOD』でデビューし、9月にシングル「紅(くれない)」をリリースし、積極的にテレビに出演。
・X – 紅(1989)
そして、管理人は音楽番組「ベストテン」で初めてXを見て、そのルックスやサウンドに衝撃を受け、どっぷりハマることになります。
当時、大人なメタラーの方々がどう思ったかはわかりませんが、中2の少年にはとても刺激的な存在でした。
KISSやLAメタルの流れを汲んだルックスに、NWOBHMやパワーメタルから影響を受けたサウンドは十分”メタル“と言えるものだったと思います。
『紅』で大きなインパクトを与えた後は、バラード曲『ENDLESS RAIN』をリリースし、日本のロック好きな若者のハートをがっちり掴みます。
実は、Xはそれ以前にも積極的にテレビ出演していたんですが、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でメタラー運動会をしたりと、完全にイロモノ的存在でした。
そんなXもデビュー後は大ブレイクし、業界的には賛否両論あったようですが、『BLUE BLOOD』は60万枚の大ヒットとなり、『紅』のリリースから数か月後の89年末には、日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞など数々の賞を受賞し、1991年には紅白歌合戦に出演。
1992年には日本人アーティストとして初となる東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催、朝の情報番組で特集が組まれたりと社会現象を巻き起こします。
現在はヴィジュアル系の元祖としての印象が強いXですが、当時はそんな言葉も生まれる前だったので、あくまでヘヴィーメタル系なバンドとして捉えられ、ネタ的な部分もありましたが”ヘビメタ“という言葉を一般に広めることとなります。
この時期、聖飢魔IIもバラード曲押しでブレイクし、女性ハードロックバンド「SHOW-YA(ショーヤ)」も『限界LOVERS』でブレイク。
・SHOW-YA – 限界LOVERS(1989)
お茶の間にHR/HM系バンドが普通に登場するようになりました。
また、BOW WOWから改名していたVOW WOWも一定の成功を得ます。
そして、世は空前のバンドブーム。
メタル系バンドはそれ程多くなかったものの、AION(アイオン)、TOKYO YANKEES(東京ヤンキース)等のビジュアル寄りメタル系バンドもXのブームに続くようにデビュー。
・AION – LAUNCH GAME (1992)
ちなみに神バンドの元ギター小林信一氏の在籍する「地獄カルテット」のボーカルはAIONのNOV氏であったりします。
が、ある程度の盛り上がりは見せるもののX程の成功は得られず。
Xの成功は、バラード曲もしっかり取り入れつつ、日本人にも聴きやすい歌謡曲的なメロディーが基本にある完成度の高い楽曲と、常に話題を作り続けるYOSHIKIの自己プロデュース力にあったと思われます。
本格派メタルバンドの活躍
Xムーブメントは、それ以前に活躍をしていたHR/HMバンドとは全く違うシーンにありました。
ラウドネス等、海外バンド的なサウンドのバンドがメタルの本流として、Xのような後にヴィジュアル系の流れを生むバンドは”メタル”としないという説もあります。
実際、日本の老舗メタル雑誌『BURRN!』はそのようなバンドを一切扱いませんでした。
この辺は見解が分かれるところですが、Xをきっかけにメタルにハマった私は日本のメタルの歴史はXなくして語れないと思っています。
そして、本格派メタルバンドはその後も活躍を続けていました。
が、ラウドネスは1989年にボーカルの二井原実が脱退することになり、その前後辺りから海外での活動は見られなくなっていきます。
二井原実脱退後は後にイングヴェイ・マルムスティーンに参加するアメリカ人ボーカリスト・マイク・ヴェセーラが加入。
ボーカルがアメリカ人になったことで、もはや日本っぽさは微塵も感じられない海外バンドと聴き分けがつかないようなアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』をリリース。
・Loudness – Soldier Of Fortune(1989)
このアルバムも大好きですけどね。
マイク・ヴェセーラは1992年に脱退。
1992年、Xを脱退したX一ハードロック志向のベーシスト・TAIJI、元EZOのボーカリスト・MASAKIがラウドネスに加入。
XもラウドネスもEZOも好きだった私はかなり盛り上がりましたし、TAIJI加入で女性ファンが一気に増えました(笑)
オシャレ番長TAIJIのアイディアにより、当時流行していたグランジ的なルックスとなり、サウンドもスラッシュメタル的な方向へ移行、バンド名を冠したアルバム『LOUDNESS』をリリース。
・LOUDNESS – SLAUGHTER HOUSE(1992)
この頃のラウドネスについては昔からのファンは賛否両論あるのかも知れませんが、個人的にはやっぱり好きです。
売上、知名度、人気とも頂点を極めた時期でしたが、TAIJIは翌年脱退、LAZY時代から高崎晃氏と活動を共にしてきていたドラマーの故・樋口宗孝氏も脱退し、ラウドネスは一時シーンから遠ざかります。
この時期、本流メタルシーンでもジャパメタブーム以降のバンドが活躍を見せるようになります。
・Outrage – My Final Day(1991)
アウトレイジ(Outrage)を初めて聴いたときは「メ、メタリカみたいやん…!」と、日本にこんな本格的スラッシュメタルバンドが居たことに驚きました。
ナパーム・デス等のグラインドコアに影響を受けたハードコア・パンク寄りなS.O.B(エス・オー・ビー)も活躍を見せます。
・S.O.B – Delusions of Terror(1993)
これらのバンドはXのように日本での大きな成功はありませんでしたが、海外でも評価され、海外でのリリースやツアーも行っていました。
S.O.Bは1987年、ナパームデスとヨーロッパツアーを行いスプリットシングルをリリース、アウトレイジは1992年、パンテラの初来日ツアーにも同行。
80年代後半から90年代初頭に活躍したメタルバンドというのは、80年代前半からインディーズシーンで活動していたバンドが多く、やっと日の目を見るようになったのがこの時代です。
XのブレイクをきっかけにかつてLAメタルの影響を受けていたメタルバンド(D’ERLANGER等)はヴィジュアル系へ移行していき商業的な成功を得るようになりますが、メタリカ等に影響を受けたスラッシュメタル、ハードコア・パンク系のメタルバンドはひたすらそのシーンで活動を続けます。
元々二極化していたような感のあるメタルシーンでしたが、Xのブレイク後、さらに大きくシーンを隔ててしまった感があります。
そして、Xのキャッチコピー”PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK”から”ヴィジュアル系“という言葉が生まれ、LUNA SEA、黒夢等が登場し、ヴィジュアル系というジャンルが確立され、一気に盛り上がりを見せていくことになります。
と、日本でのメタル誕生からXのブレイクまでの20年余りの歴史について書いてみました。
これ以降、神バンドのメンバーもメタルシーンに登場してくるわけですが、それについてはまた書きたいと思います。
この記事を書くだけで1日かかってしまい、力尽きました…(笑)
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テスト3
Xの前にDEADENDを記載しないとか
実はDEAD ENDは全く通ってなくて…と個人的な話になりますが、あまり詳しくないのと長くなってしまう為、今回は書きませんでした(汗)
多くのバンドに影響を与えた存在ですし、あとでまた追記しようかなとも思っております!
一曲目すげえwフラワートラベリングバンド。名前は知ってたけど
なんでこの時代に日本でこんな曲作れるんだ?
そーいう意味では頭脳警察やサディスティックミカバンドを思い出しました
ラウドネスのステージも驚き。この頃中学生だったけど
洋楽一辺倒でベストヒットUSAとMTVとFM東京が唯一の情報源で
ラウドネスが海外で人気とは伝え聞いてたけど
ピンときてませんでした。聖飢魔Ⅱは今思えば音が綺麗すぎたのかな?
メロも閣下のボーカルもね。最初のインパクトが凄すぎたかな?
それと、あの時代は「歌謡曲」が敵だったのもあるかもw
本田美奈子さんがロックバンドを結成しただけで物凄い反発だったの
覚えてて、自分自身「アイドル風情がふざけんな!ロックなめんな!」
って立場に立ってた。あれ?これって…所謂べビメタヘイターと同じだ…
だけど半周回ってそーゆー原理主義者が居るジャンルだからこそ
べビメタが輝けるきっかけになったとも思う。最初から
GAGAの前座だけだったら、それだけで終わったとも思う。
多分刹那なPOPS界の方がシビアだ。きっと数字だけの世界だから。
ネットではグチグチ言いながらソニスやモントリオールでステージを
見たメタル野郎はきちんと評価してくれた。
黙らすべビメタも凄いけど、ツンデレなメタル野郎にも感謝w
私もこれまであまり知らなかったんですが、すごいですよね…。
頭脳警察、サディスティックミカバンドもかっこいいバンドですね。
ラウドネスは私も初期は全くリアルタイムではないので当時のことは詳しく知りませんが、日本で一般的にメジャーになる為には聖飢魔Ⅱなんかもそうですが、歌謡曲的なわかりやすい部分がないと難しいですよね。
本田美奈子さんロックバンドやってたんですね!
菊地桃子のラ・ムーは記憶にあるんですが(笑)
BABYMETALも「アイドルがメタルとかふざけんな!」的なこともあるかも知れませんが、メタルファンを納得させられるだけのものを作れているのがすごいところですよね。
ツンデレなメタル野郎…(笑)
私もその1人なのかも知れません(笑)
LAZYのアイドル路線はかまやつひろしによる提案ではなく
当時の所属事務所がベイ・シティ・ローラーズが流行しているのを見て
和製ベイ・シティ・ローラーズを画策した結果、かまやつの知らないところで
勝手にアイドルグループに仕立て上げられた事であの路線になったという話です。
おそらく、ハードロックバンドとして契約したものの実は和製ベイ・シティ・ローラーズとしてデビューさせられ、意に反すれば法外な違約金を取られる事もあって
渋々アイドル路線で活躍せざる得ない状況にまで追い込まれたのでしょう。
因みにかまやつひろしがした事は音楽番組に出ていたレイジーを
事務所社長である藤田浩一(2009年死去)に紹介したまでは良かったが、かまやつ本人の知らないところで
LAZYが事務所の判断でアイドルバンドになり、後で知ってショックを受けたという感じです。
因みにムッシュとLAZYのメンバーは現在も交流がある様で
4年前に発売された『100%高崎晃』でインタビューが掲載されています。
コメントありがとうございます!
そういう話は全く知りませんでした…
とてもお詳しいですね
貴重な情報をありがとうございます
かなり昔のことですが、今でもそういう交流があるというのはファンからしても嬉しいですね